いま何が起きているのか
高市政権の発足とともに、国家情報機能の再編(国家情報局構想)や“スパイ防止法”の制定が与野党で主要争点に浮上した。
日本維新の会も独自法案の提出を表明しており、臨時国会での具体化が現実味を帯びる。
背景には、機微情報の保全を強化する経済安保のセキュリティ・クリアランス法(2025年5月成立)が既に走り始め、「次は人的スパイ対策の本丸だ」という政策の流れがある。
「日本にスパイはどれくらいいるのか?」——数は出ていないが、兆候は可視化されつつある
端的に言えば、公式な推計値は存在しない。
諜報活動は秘匿性が高く、各国とも「人数」を公表しないのが通例だ。
日本で公開情報から読み取れるのは、「対日諜報の脅威が増している」という傾向である。
公安調査庁や警察庁の年次資料は、サイバー窃取や技術情報流出のリスクが継続的に高まっていると整理する一方、件数の特定には踏み込んでいない。
すなわち「規模の把握より、能力と意図の把握」に重点を置くのが現状だ。
一方、対外事例としては、中国での邦人拘束・有罪判決が相次ぐ。
2014年の反スパイ法施行以降、少なくとも17人の日本人が拘束され、2025年7月には国内大手製薬社員に懲役3年6月の判決が言い渡された。
日本政府は同行為の透明性を問題視し、邦人への注意喚起を強めている。
これは「日本国内に何人いるか」とは別次元だが、諜報・反諜報をめぐる環境が厳しくなっていることの間接的な指標ではある。
日本の現行法はどこまで対応しているのか
日本には既に、特定秘密保護法(2013)、自衛隊法96条の2(防衛秘密の漏えい罪)、MDA秘密保護法(米国由来情報の保護)など「国家の秘密」に関する重罰法制がある。
もっとも、これらは“指定された秘密”の漏えいを処罰する仕組みであり、外国情報機関の“情報収集行為そのもの”(いわゆるスパイリング)を包括的に取り締まる体系ではない。
だからこそ「秘密指定がない分野の窃取」「中間者(仲介・勧誘)」「広範な影響工作」に対し、包括的な構成要件を設けるべきだという立法論が出てくるわけだ。
ただし、特定秘密保護法の成立時には、取材の自由・知る権利への萎縮効果が国内外から強く指摘された。
新たなスパイ防止法も、定義の曖昧さや過剰適用が起きれば同様の批判は避けられない。
制度設計上、何が“スパイ行為”に当たるのか、何が“通常の報道・学術・企業活動”なのかを、罪刑法定主義に耐える明確さで切り分ける必要がある。
仮にスパイ防止法ができたら、どんな影響が出るか(予測)
企業(とくに先端技術)
- 人的アクセスへの対策が強化される。
採用・委託・共同研究での適格性確認(バックグラウンドチェック)が、経済安保クリアランス法と連動して実務標準になる。
内部通報制度や情報区分の細分化も再設計が必要だ。 - 漏えい未遂や仲介行為にも刑罰が及ぶなら、研究開発拠点や海外子会社を含めた社内規程・教育の全面更新が必要になる。
大学・研究機関
- 共同研究・留学生受入のスクリーニング強化は不可避。
透明性と人権配慮のない運用は差別や研究萎縮を招くため、審査基準の公開と不服申立ての仕組みが鍵。
デュアルユース研究の扱いも再整理が要る。
報道・市民社会
- 取材源秘匿と公益目的の調査報道をどう守るかが試金石。
「外国勢力のための収集」と「公益調査」の境界を曖昧にすると萎縮が起きる。
立法段階で公益目的の抗弁、取材適法性の明確化、令状主義の厳格運用が欠かせない。
在住外国人・海外と往来する日本人
- 選別的適用への懸念が国際的に高まり得る。
とくに中国の反スパイ法運用に日本人が直面してきた現実を考えれば、日本側の新法も透明性と予見可能性が不可欠。
明確なガイドラインや第三者監督を組み込み、恣意的運用の歯止めを示す必要がある。
外交・同盟
- 同盟国との機微情報共有は、漏えいリスクの法的管理が進むほど拡充しやすい。
英国のOfficial Secrets Actや米国のEspionage Actのように、“人”に着目した処罰体系を持つ国と足並みをそろえることで、対外情報協力の信頼性は上がる。
一方で、国内の自由との均衡が問われる。
立法設計で外せない「5つの論点」
- 構成要件の精密化:
対象行為(収集・勧誘・指示・資金提供)を限定列挙し、「外国の利益のため」の立証要件を明文化。
私人の一般的な情報収集と切り分ける。 - 公益目的の保護:
公益性の高い取材・内部告発・研究には違法性阻却事由や適法行為の推定を設け、濫用防止のセーフガードを付す。 - 令状・手続の厳格化:
通信傍受・捜索差押えの要件を厳格に。
独立監督機関による事後・年次レビューと統計公開を義務化。 - 差別防止:
国籍・出自による過度のプロファイリングを禁じ、運用手引を公表。 - 経済安保法との接合:
クリアランス制度で守る情報と、スパイ防止法の対象行為を重複なく整理し、企業・大学が運用できる仕組みに。
よくある誤解を正す
- 「日本はスパイ天国」か?
政府は公式にその評価を認めていない。
ただし、対日有害活動の脅威は継続しており、能力強化と国際連携は不可欠という立場だ。
レッテルではなく、制度設計の実効性で議論する段階に来ている。 - 「新法で何でも処罰」になる?
構成要件と手続保障次第。曖昧な罪は萎縮を生み、国益にも反する。
明確性と透明性が担保されれば、研究・報道・正当な国際交流は守られる。
これから起こり得るシナリオ
- 与党主導で骨子提示→複数案を束ねて審議
維新などの私案と、政府案(または与党案)を並行審議し、経済安保法との整合・報道保護条項・監督機関の権限をめぐって調整。 - 民間の実務対応が先行
クリアランス対応の社内体制(情報区分・教育・監査)が先に進む。
人的スパイ対策は入退室・ログ・契約条項の見直しから実装されるだろう。 - 外交インパクト
同盟国からの評価は前向きになり得る一方、近隣国との相互主義で緊張も高まり得る。
邦人保護・企業活動の安全確保のため、対外ガイダンスの整備が急務だ。
まとめ
“スパイ防止法”をめぐる核心は、国益(情報保全)と自由(知る権利・学問・取材)の均衡を、条文と運用でどこまで精密に担保できるかだ。
人数論ではなく、脅威の実像と既存法の空白を直視しつつ、セーフガードを同時に設計すること。
高市政権の下で議論は加速するだろう。
だからこそ、対象行為の明確化・公益保護・手続の独立監督・差別防止という“四つの歯止め”を、今のうちに社会で合意しておく必要がある。
そうして初めて、日本は「情報を守る民主国家」としての信頼を積み上げられる。



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