SNSで「日本国国章損壊罪」がトレンド入りしています。
背景には、外国の国旗・国章を傷つけた場合を処罰する“現行の刑法92条”の存在と、日本の国旗に対する新たな処罰規定を設けようとする政治的提案が重なっていることがあります。
この記事では、①現在すでにある罰則、②「日本国版」を新設する構想の狙いとリスク、③実務上の境界線(器物損壊との関係、対象となる「国章」の定義)、④表現の自由とのバランスを、一次情報で確認しながら解説します。
いまある罰則:刑法92条「外国国章損壊等」
刑法92条は、外国に対して侮辱を加える目的で、その国の国旗その他の国章を損壊・除去・汚損した者を「2年以下の拘禁刑または20万円以下の罰金」で処罰します。
さらに「外国政府の請求がなければ公訴提起できない」(準親告のような要件)という特徴もあります。
2025年6月施行の刑法改正で「懲役」は「拘禁刑」表記に統一されました(量刑水準は同趣旨)。
ポイント
- これは「外国の」国旗・国章が対象です。日本の国旗(日章旗)はここに含まれません。
- したがって日本の国旗を毀損した場合、現行法では個別の専用罪はなく、他人の所有物なら器物損壊罪(刑法261条)等で扱われるだけです(量刑は3年以下の拘禁刑または30万円以下の罰金)。
いま議論されている「日本国版」:狙いと動き
最近、国会内外で日本の国旗(や国章)に対する損壊行為を処罰する新罪の検討・提案が相次いで報じられています。
たとえば参政党は2025年10月、「国旗損壊罪」を新設する法案を単独提出したと地方局が報道。
自民党内でも賛否や立法事実の有無をめぐる応酬が見られます。
2012年にも自民党が「国旗損壊の罪」を新設する刑法改正案を国会提出しましたが、審議未了で廃案になっています。
専用罪の新設は、今回が初めての議論ではありません。
そもそも「国章」とは何を指す?——日本固有の難しさ
用語の混乱をほどくカギは「日本に法定の“国章”はあるのか」という点です。
- 国旗については、1999年の「国旗及び国歌に関する法律」で日章旗(通称・日の丸)が明確に規定されています。
- 国章は、法律により明文で定められた“国家の大紋章”は存在しないのが実情です。
菊花紋章は皇室の紋として慣例上広く用いられ、政府の紋章としては「五七の桐」が用いられますが、いずれも「日本国の国章」を定めた法律があるわけではありません。
他方、刑法92条がいう“国章”は、対象国の旗以外の国家を象徴する標章(大使館の徽章、軍旗等)を含む概念で運用されており、外国国章損壊等罪の解説でもそのように説明されています。
今後、日本版の新設を議論するなら、「何を“国章”とみなすか」の線引き(パスポート表紙の菊花紋、官邸演台や公文書に出る「五七の桐」など)が不可欠になります。
どこからが「処罰対象」?——実務で問われる5つの設計
- 対象の範囲
公的掲揚物(学校・官公庁・式典)だけを守るのか、私物の国旗や印刷物・衣類のデザインまで含めるのか。
範囲が広がるほど、表現の自由(憲法21条)との緊張が高まります。
議員側の論点整理でも「私物の旗への落書き・焼却」をどう扱うかが焦点とされています。 - 故意・目的要件
現行の92条は「外国に対する侮辱の目的」を要件にしています。
同様に「日本国に対する侮辱の目的」など主観要件を課すのか、過失や単純毀損まで広げるのかで、適用の幅が大きく変わります。 - 起訴要件(請求主義/親告性)
92条2項は「外国政府の請求がなければ公訴提起不可」とする特則を置き、外交上の配慮を埋め込んでいます。
日本版で誰が“請求主体”になり得るのか(政府?特定機関?)は、制度設計の要。 - 量刑と均衡
器物損壊罪(261条)より軽いと抑止力が乏しく、重すぎると表現規制の批判を招く。
現行実務では日本国旗の毀損でも器物損壊で対処しうるため、新罪の必要性(立法事実)を疑問視する見解もあります。 - 「国章」の確定作業
法定の国章がない日本では、どの紋章・標章を保護客体に含めるかを明記する必要があります。
菊花紋章・五七の桐・官用標章などの扱いを曖昧にしたままでは、恣意的運用の懸念が残ります。
よくある誤解とQ&A
Q1. いま日本の国旗を傷つけても“合法”なの?
A. 専用罪は未整備ですが、他人の所有物なら器物損壊罪等が成立し得ます。
公共の旗を引き下ろして毀損すれば、器物損壊や威力業務妨害など別罪が問題になります。
Q2. 「国章」は菊なの?桐なの?
A. 法律で“国章”を定めた規定はありません。
慣例上、皇室の紋=菊花紋章、政府の紋=五七の桐が用いられています。
「日本国国章損壊罪」を作るなら、どれを国章と法定するかの詰めが不可欠です。
Q3. 既存の92条があるのに、なぜ日本版が必要?
A. 92条は「外国」の国旗・国章を保護します。日本の国旗は対象外です。
対外関係の安全を保護法益とする歴史的条文で、日本版を同じ理屈で写すのは無理があるとの法曹意見も出ています。
表現の自由とのバランス:線引きのヒント
国旗への敬意や共同体の象徴性は尊重されるべき一方で、政治的意見表明と侮辱・威力の境界は場面により曖昧です。
新罪を設計するなら、少なくとも、
・対象の限定(公的掲揚物や儀式用の旗など)
・故意(侮辱目的)の明確化と立証責任
・請求主義・起訴要件の設定
・適用除外(報道・学術・芸術の正当な利用)
を条文レベルで明文化しないと、濫用や萎縮効果を生みやすくなります。
議員の論点整理でも、政治的抗議表現と処罰の境を制度設計の肝としています。
実務の視点:現場で困らないために
- 自治体・学校・官庁:
掲揚・保管・管理の手順(鍵管理、監視、撤去手続)を文書化。
毀損時は被害届→器物損壊の初動が基本。 - イベント運営:
式典用の旗や紋章の使用許諾・注意事項を契約書に明記。
模様・コスプレ・デザインの取り扱いも事前ルール化。 - メディア・クリエイター:
国旗・紋章の加工・表現は目的・文脈をメタ情報で付す(キャプション・注記)。
侮辱目的の誤認を減らせます。
まとめ:冷静な設計図で象徴を守る
- 事実:
現行法には「外国国章損壊等」(刑法92条)があり、日本の国旗・紋章は直接の対象外。
日本版の新罪をめぐり賛否の提案・報道が続いています。 - 課題:
日本には法定の“国章”がないため、何を保護客体にするかの確定が必須。
器物損壊との役割分担、故意・請求主義・量刑の設計も詰めが要ります。 - 視点:
象徴の尊重と表現の自由は対立概念ではありません。
対象・目的・手続の三点を透明化すれば、濫用の恐れを抑えつつ、公共空間の秩序と尊厳を守る立法も可能です。
議論はヒートアップしがちですが、「何を守るために」「どこまで罰するのか」を、条文と運用の両面から冷静に設計する——それがこのテーマの最短距離です。



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